―ヤマト、ゴジラ、アベンジャーズがくれる「次の予定」―
「オタクは死ねない」
これは、永遠に生きたいという話ではない。まだ観ていない作品があるから、死ぬわけにはいかない、という話である。
年を重ねると、人生の予定表は少しずつ空白になっていく。進学も、就職も、子どもの成長も、いつかは一段落する。けれどもオタクの予定表には、なぜかいつも新しい文字が書き込まれる。続編の発表、新作の公開、記念上映、周年企画。未来のどこかに、必ず「楽しみ」が置かれている。
その代表が、『宇宙戦艦ヤマト』だ。
ヤマトは、まだ航海の途中
私は、テレビで放送された最初の『宇宙戦艦ヤマト』から観てきた。映画になり、時代が変わり、リメイクされた『宇宙戦艦ヤマト2199』が始まり、『ヤマトよ永遠に REBEL3199』までたどり着いた。
そして今度は、『宇宙戦艦ヤマト√2199』の報せである。
ひとつの物語が終わるたびに、もうこれで最後かもしれないと思う。ところが、しばらくすると新しい航海の知らせが届く。ヤマトは何度でも出航し、観客もそのたびに劇場へ向かう。
子どものころに観ていた人間も、もちろん歳を取った。それでも新作の発表を聞けば、まず思う。
「それまでは死ねない」
大げさなようだが、これは冗談であり、本気でもある。未来の劇場に、自分の席が予約されているようなものだ。その席を空けるわけにはいかない。
ゴジラは、時代ごとに戻ってくる
ゴジラも同じである。
1954年に現れたゴジラは、その後も時代に合わせて姿を変え、何度も戻ってきた。核の恐怖、高度成長、災害、戦争、社会の不安。ゴジラは単なる怪獣ではなく、その時代の人々が抱えた恐れそのものを映してきた。
『ゴジラ-1.0』では、敗戦によってゼロになった日本へ、さらにマイナスの存在が襲いかかった。そして東日本大震災から15年となる2026年、『ゴジラ-0.0』が公開される。
現実の災害があまりにも生々しい間は、災害を描くフィクションは作りにくい。だが、時間の距離が生まれると、物語は再び現実と向き合えるようになる。ゴジラが戻ってくるのは、人間が恐怖を忘れたからではない。恐怖に別の形を与え、考え直す必要が生まれるからだ。
だからファンは、また劇場へ行く。前のゴジラとは違うゴジラに会うために。そして、自分たちが生きてきた時代を確かめるために。
アベンジャーズは、観客と一緒に歳を取る
アベンジャーズも、長い時間を観客と共有してきたシリーズである。
ヒーローは集まり、別れ、傷つき、代替わりしていく。演じる俳優も歳を取り、物語から去る者もいれば、新しく加わる者もいる。観客も同じだ。学生だった者は社会人になり、若かった者は親になり、やがて子どもや孫と一緒に観るようになる。
作品の年表と、自分の人生の年表が重なっていく。
だから続編は、単なる新作ではない。自分がどこまで生きてきたかを確認する目印であり、次に会う日を決める約束でもある。「次の作品で、彼らはどうなるのか」と考えることは、「自分はその時、どこで何をしているだろう」と考えることでもある。
次回作は、未来への予約票
オタクにとって、次回作の発表は小さな予約票のようなものだ。
それを観るためには、健康でいなければならない。仕事を続け、チケット代を用意し、休みを調整し、劇場まで行かなければならない。好きな作品を追いかけることは、意外なほど現実的で、生活に根ざしている。
推しを待つ時間は、空白ではない。情報を集め、旧作を見直し、感想を話し、記録を残す。その積み重ねが、公開日までの日々を豊かにする。
このサイトで特撮作品の日付や出来事を記録するのも、同じ気持ちからだ。作品を観るだけではなく、「観た」という事実と、その時代を残しておきたい。誰かの未来の予定表に、新しい楽しみが書き込まれるかもしれないからである。
だから、オタクは死ねない
もちろん、人はいつか死ぬ。オタクでも例外ではない。
それでも、「死ねない」と思えるものがある人生は強い。明日を待ちたい理由があり、来年を生きたい理由があり、まだ見ぬ物語のために今日を乗り越える力がある。
作品が続くかぎり、ファンの人生にも「つづく」が表示される。
だから、オタクは死ねない。
少なくとも、次回作を観るまでは、絶対に死ねない。

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