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シン・ウルトラマンは「裏切り者」である – そのことに気がつくと物語の深みを感じたりする。加えて樋口真嗣監督と庵野秀明総監修のインタビューを読むほど作品の評価は確実に上がるのだよ。

こんにちは、科特研キャップです。

映画『シン・ウルトラマン』のレビューを書く中で、数日の間に自分自身の中での評価がアップダウンするという体験をしています。

今回は、評価アップの方

このレビューにはネタバレを含みますので、まだ観ていない方はすぐに別のページに移動してください。

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パンフレットの樋口真嗣監督のインタビューから

映画『シン・ウルトラマン』のパンフレットには、出演者のインタビューと、スタッフインタービューとして監督の樋口真嗣氏、プロダクションノートとして准監督の尾上克郎氏、VFXスーパーバイザー佐藤敦紀氏とポストプロダクションスーパーバイザーの上田倫人氏の対談が掲載されいます。

映画『シン・ウルトラマン』を観終わった直後に感じたあの衝撃「私は何を観たのか/私は何を観たかったのか」という困惑の中で、樋口監督のインタビューを読むうちに、徐々に評価が上がってきました。パンフレットと一緒に購入した『シン・ウルトラマン デザインワークス』には庵野秀明氏のインタビューはプロットノートが掲載されており、そちらもあわせてみると、映画本編だけでは見えてこなかったシン・ウルトラマン像を知ることができます。まずは樋口監督のインタビュー記事から感じたことを書き留めてみます。

何よりも一番に感じたのは、観客は多種多様であり、子供の頃にウルトラマンを見たことはあるけれど、最近のは知らないし、ましてやウルトラサブスク(TSUBURAYA IMAGINATION)を契約して過去作を繰り返し見ているような人はごく少数。かすかな記憶をたよりのウルトラマンを懐かしくみる人もいれば、全くウルトラマンに対する予備知識もなく劇場に足を運ぶ人もいる。それらの人たちすべてに満足させる映画はとうてい作れないし、限られた予算と時間とリソースの中で作品を仕上げる…しかもこのコロナ禍で作品を完成させるということは、相当な苦労と覚悟が必要だったのだろうな〜と感じました。

TSUBURAYA IMAGINATIONを見ているような人たちにとっては、場面場面の過去作へのリスペクトが少々うざく感じたり、あざとい表現に受け取られがちな表現もあったなぁ〜と感じるのは、オタク中のオタクなのかもしれません。それは、当初の企画段階での名称だったり、怪獣の着ぐるみスーツの使い回しだったり、当時の少年雑誌が間違えて掲載した内容を拾ってきたり、禍特対の作戦室にはマイティジャックやサンダーバード、スタートレックのエンタープライズ号や東宝特撮映画のメカなどが散りばめられていましたが、あれらも知っている人からみれば、懐かしさを感じる一方で、つい最近樋口真嗣監督が再編集した『サンダーバードgogo』のこともあって「はいはい、好きなのはもうわかったから〜」的な捉え方をする人もいるだろうなぁ〜と思ったりもしました。

ただ興味深いのは、今回は中に人間が入る怪獣スーツも外星人スーツも使わず、街並みもミニチュアワークではなく、すべてCGによってつくっているにもかかわらず、ミニチュアワークによる特撮である感を出したかったというのは、すごいと思いましたね。そこがハリウッドの特撮映画と立ち位置が違うところ。

ここ数年の間に、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(通称ATAC:庵野秀明理事長)の設立、特撮のDNA展や庵野秀明展、福島県須賀川氏にできた「須賀川特撮アーカイブセンター」など、ミニチュアワークを基本とする日本の特撮文化を作ってきた遺物が大切に保管され、修復され、展示会などを通じて多くの人の目に触れる機会を得ていることはとても大きなポイントだと思います。

このブログを書いている私自身も、ATACの賛助会員として「科特研キャップ」の名前を表記していただいていたりもします。

日本の着ぐるみとミニチュアワークによる特撮文化は、ほぼ終わり。樋口真嗣監督自らが『シン・ウルトラマン』をフルCGで撮影するなかで、わざわざミニチュアワークテイストを残そうとしたのは、物理的なミニチュアワークによる撮影がほぼ終わりを迎えることへの一歩になっているようにも思います。

もちろん、これからも続くであろう円谷プロダクションがつくるウルトラシリーズは着ぐるみもミニチュアも作り続けていくとは思うのですが、それも若い世代の作り手たちが受け継いでいることを誇りにすら感じたりします。が、一方で観客たちは非情ですよ。ハリウッド製のモンスターユニバースやパシフィック・リムのカイジュウとロボットの戦う姿に目が慣れ、スターウォーズやスター・トレックシリーズの新作(映画と配信ドラマ)に目が慣れ、マーベルシリーズのアベンジャーズのような特撮がスタンダードになり、アジア系の人が登場する海外の特撮映画や特撮ドラマのクォリティがどんどん上がっていく中で、日本の特撮映画/特撮ドラマ/特撮コンテンツはどこに行くのか…どこかに行くことがそもそもできるのか!みたいなことを感じたりもしました。

シン・ウルトラマンが終わった樋口真嗣監督は、次にどんな作品をつくるのかがとても楽しみです。

デザインワークス掲載の庵野秀明総監修のインタビューから

樋口真嗣監督のインタビューに対して、庵野秀明総監修のインタビューは、最初の企画プロットを出したところから始まっています。こんな作品があったらいいな、こんな作品を作ってみたい(あるいは自分自身が観たい)という思いから、実は数多くの企画案が生まれていたりします。

今回の『シン・ウルトラマン』は、実は三部作構成で、

庵野氏の中では、最初のシン・ウルトラマンで描ききれなかった要素を、続編で表現し、さらにウルトラマンルピアの後任としてシン・ウルトラセブンが地球にやってくる。その時には日本一国の防災庁の禍特対から、地球規模の防衛チームが設立され、それの極東支部または日本支部の現場チームが描かれるなど、本来のウルトラマンシリーズを構成する要素を固めていくようなことを考えていたのでは無いかなぁ〜と思ったりもします。

それが、残念ながらまったく素の状態の禍特対を描くなかで、庵野氏の要望で禍特対の部屋の中に、マイティジャックのMJ号や、サンダーバード各機、スタートレックのエンタープライズ号などの「メカ要素」は、ある意味でそこが精一杯のメカ表現だった…という感じすらします。

庵野氏自身は、同じ期間に『劇場版シン・エヴァンゲリオン』にかかりっきりで、指示だけ出してあとは樋口監督にお任せだったことが書かれています。また、ちょっとウルトラマンを知っている人からすれば、多用すぎてあざとさすら感じる 実相寺アングル も、庵野氏の指示ではなかったことが書かれていたりするなかで、庵野氏自身も、今回のシン・ウルトラマンの作品としての立ち位置にちょっと未練が残っている感じもしたりします。続シン・ウルトラマンやシン・ウルトラセブンがあるから第一弾のシン・ウルトラマンはこの要素だけで良しとしよう…的な部分が、結果として続もウルトラセブンも作られない中で、シン・ウルトラマンだけで世に送り出さなければならない状況になったとき、どんな思いだったのかなぁ。

劇場で販売されている(売り切れ続出ですが)「シン・ウルトラマン デザインワークス」に掲載されている庵野氏のデザインメモや企画メモは、ひとつの映画が誕生するまえに没案にはなったものの、実にいろいろなことを真剣に考えながら作品化してく過程を垣間見るようで、メイキングや設定資料と同じか、それ以上の誕生前夜であり企画がスタートする前の様子を知ることができる貴重なものだと思います。

庵野秀明氏が理事長を務めるNPO、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構 も、本来ならば映画撮影の終了後に産業廃棄物として処分されてしまうさまざまなメカや武器などの小道具や設定資料などのを収集保存し、校正に伝え残す活動に取り組んでいる姿には、ほんとに共感しかありません。

ささやかながら賛助会員として「科特研キャップ」も名を連ねさせていただいております。

ATAC

ウルトラマンをかすかに知る人たちへ

シン・ウルトラマン…その名は「ルピア」 裏切り者である

よく恋愛ドラマの中で「世界のすべてを敵にまわしても僕は君を愛している」

永井豪の「デビルマン」にも似たウルトラマン=ルピア(以下、ルピア)の行動原理。ただし牧村美樹と浅見弘子との比較は適切では無い。シン・ウルトラマンにとっては地球人のすべてを愛した結果として、光の星の掟にもとづく地球の廃棄処分の決定すらも否定して、廃棄処分をするためのゼットンに立ち向かうのだが…ちょっと待て。

ルピアはそんなに短時間で、自分の同胞や宇宙にある協定すらも破る裏切り者となっても地球人類を守ろうとするのは、本当に「愛」の力なのだろうか?と疑念さえ持ってしまいます。ある意味で宇宙正義に対する叛逆ではないだろうか?そうなるとルピアは裏切り者であると言っても良いと思う。

デビルマンでは「裏切り者の名を受けて、すべてを捨てて戦う男」だったのだが、シン・ウルトラマンではどうだろう…あえて裏切り者ではなく、地球人類のために命を賭して戦う正義のヒーローであり、宇宙正義のほうが人類に対する悪な存在のようにさえ描かれているように思うのです。

映画のキャッチコピーにある

空想と浪漫。そして、友情。

は、確かに地球が正しいという立場にたてば…という視点。

このウルトラマンルピアの行動原理を知ることで、映画『シン・ウルトラマン』に隠されたもうひとつの真実。何が正義、何が悪。どちらが正しくて、どちらが間違っている…ということを、オーディエンスに突きつけてくる。そのことを知ってしまうと、実に面白い作品として捉えることができるのだ。

【実は…初代ウルトラマンにおいてもウルトラマンは宇宙正義に反する行為をしていた】

かなり前から気になっていたことではあるのだけれど、テレビ放送の『ウルトラマン』においても、彼はとんでもないやらかしをしていたりする。多くのファンが知っているのが、第一話での出来事。宇宙怪獣ベムラーの逃走を追跡する中で地球に来て、ハヤタの操縦するジェットビートル(小型ビートル)と衝突してハヤタを死に至らしめ、その償いとしてベータカプセルを渡して一体化している…というエピソードだ。ところが初代ウルトラマンはとんでもない大量虐殺をしていることを、あまり知られていない。それは、すでに第2話で行われていました。大量虐殺という言い方が正しくは無いのかもしれませんが、自らの過ちで自星を破壊して移住先を探していた20億3000万のバルタン星人(マイクロ化されていたとも、遺伝子で運んでいたともいわれますが)、その乗り物を破壊しているのです。のちにいろいろといわていますが、ウルトラマンコスモスやウルトラマンマックスなどでも描かれているように、バルタン星人においても非戦闘員や子供も含まれていたことを考えれば、これは外星人間でかわされる宇宙秩序からみれば、大量虐殺と扱われるのでは無いかと思うのです。

たとえばそんな視点からみれば、ルピアの行動原理に、実は自分自身がやらかしてしまったことを正当化するための行動…と捉えてもおもしろいかもしれません。

という感じで、あの短時間で人間が好きになった…というよりも、自らのやらかしを正当化するために「人間を好きになったことにしておこう」という思いを持っていたルピアの方が、すごく好きに慣れたりします。

この「シン・ウルトラマン」ルピア裏切り者説を知ると、この映画『シン・ウルトラマン』をとっても好きになることがでいて、とても高評価の高い秀逸なストーリーテリングだな、と感じました。

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